「論語と算盤」とは?
「論語と算盤」は日本実業界の父と呼ばれた渋沢栄一によって書かれた仕事と人生の指南書です。
麻生太郎財務相から発表があったように、2024年度に行われる紙幣刷新に向けて絶対に抑えておきたい人物ですよね。来年の2021年の大河ドラマ「青天を衝け」では主人公として物語が描かれます。
渋沢栄一
明治維新後に日本の実業界、ひいては資本主義の制度を設計した人物。
政治の世界で言えば日本の基礎をつくりあげた大久保利通や伊藤博文と同じように「近代日本における偉人」の一人である。
彼が設立に関わった会社は481社に及び、それ以外に500以上の慈善事業にも関わり、ノーベル平和賞の候補にもなっている。
彼の功績を知るためにいくつかの企業名を上げてみよう。
みずほ銀行、JR東日本、帝国ホテル、サッポロビール、明治神宮、日経新聞、東京海上日動、東急電鉄、東京ガス、東京証券取引所、いすゞ自動車
現代の日本を代表する企業の設立に関わっていることがわかるだろう。
要約対象
今回は守谷淳の「現代語訳 論語と算盤」を元に読み進めた内容を要約していきます。
元々、渋沢栄一の原書も孔子の論語をより読みやすくと念頭にあり、学者のように専門的な言い回しを避けて書かれています。
論語こそ最高のバイブルである!
渋沢栄一にとっての人生の指針は孔子の書いた論語への深い理解から構築されています。
日本人なら大和魂を基盤とすべきでは?と感じますが、以下のように述べています。
日本人たるもの、何より日本に特有のヤマト魂というものを基盤としなければならない。 しかし、中国は国も古いし、文化もはやくに開けて孔子や孟子のような聖人・賢人を出しているため、政治方面、文学方面他において日本より一日の長がある。
決して日本を虐げている訳ではなく、あくまで広く、中立的に世界を観てみれば先に文化が開けていた国の賢人から学ぶのは必要と考えているんですね。
偏った考えにならず、現代におけるグローバルな視点ですよね。この視点を明治時代に備えており、なおかつ人生の指針としていたわけですから驚きの先見性です。
そして、因みに日本の歴史においては、徳川家康の手腕を非常に高く評価しています。
徳川家康は全国統一がなった後に三百年あまりの平穏を実現しています。それを成せたのは、適材適所に人を配置していたことに他ならないというのです。
実際に以下のように述べています。
我が国の古今を通じて、徳川家康という人ほど、うまく適材を適所に配置して自分の権勢を上手に広げたはかりごとの達人を他に知らない。
徳川家康も孔子の考えに近い思想を以て様々な格言を残しており、それも交えて本書では世の治め方から個人の日々の心がけを指南してくれています。
何が読み解けるのか?
これを読んでの所感としては、正しいビジネスの倫理観を身につけるべきであるということが一貫して述べられています。
いくつかをピックアップして紹介していきましょう!
立志と学問(第二章)
ここでは現在の学問の習得と精神の豊かさの重要性が述べられています。
学問つまり学ぶことにおいては、物質的な豊かさとともに精神教育も進めていくことが必要だそうです。
渋沢が経済から日本を豊かにすることで、日本人は富を得ることができる人が増えていきました。 しかし、反対に武士道という元々多くが有していた社会的な道徳心は失われてしまったといいます。
詰まるところ「嫌な金持ち」が日本に増えてしまったと言うんですね。
もちろん富を得ることは簡単ではなく、人より努力したことは間違いなく報われていいと渋沢は考えています。
それでも、物質的に豊かになっても、その富や権力を使って、他人を虐げたりすることは決して許してはいけないのです。
私は地獄も極楽も気にかけない。ただ現在において正しいことを行ったならば、人として立派なのだ、信じている
・自ら箸をとれ
若いうちは大きなことばかりに気を取られてはいけないといいます。
やはり血気盛んな若者は、「もっと大きなことがしたい」「小さなことは私に向いていない」と考えてしまいます。(これは私も思い当たる節がありますね苦)
若いうちこそ細かなことを、本当に細部に至るまで詰めておくべきだというのは驚きです。
渋沢栄一ほどの傑人であれば、夢はでっかく小さなことは気にするな、くらい言ってそうですが、決してそうではないのです。
今、やりたい仕事がもらえないとか、やりたくない仕事ばかりさせられる、自分を正しく評価してくれる人がいない、とは世間でもよく聞く話です。
しかし、本書では以下のように述べられています。
些細なことを粗末にするような大雑把な人では、しょせん大きなことを実現することはできない。
そして、豊臣秀吉の例からよりこの考え方を固めていきます。
千里の道も一歩からであるという続きに、
秀吉が、信長から重用されたのもまさにこれであった。草履取りの仕事を大切に務め、兵の一部を任されたときには、武将としての務めを完全に果たした。だから信長が感心して、ついに破格の抜擢をうけて、柴田勝家や丹羽長秀といった重臣たちと方を並べる身分になったのである。
焦る気持ちを抑えて、まずは小さなことをきちんと正確に、いや、詰まるところ完璧にこなせる地盤こそ若いときに必要なのです。
・大きな志と、小さな志との調和
もちろん、小さなことをきちんとすることは大切だけれども、大きな志をもつことは必要です。
ここでの注意点としては、自分の本質を本気で見極めて大きな志を立てるべきであるという点です。
”そんなん当たり前やんんn”となりますが、ここでは先程の小さなことに気を配ることとも結びついてきます。
大きな志の元に枝葉として、小さな志が成り立っていきます。そして、教えのように小さなことに魂を込めて取り組みます。
しかし、人生は大きなことを成すためにはあまりにも時間はありません。
大きな志を立て、それがもし違って小さなことに魂を込めているならば、それほど時間を浪費することはないのです。
「これなら、どこから見ても一生を貫いてやることができる」という確かな見込みがたったところで、初めてその方針を確定するのがよい。
大きな志を決めるための工程を決してサボるべきではないのですね。
そして、もう少し言葉を足して、
ちょっとした世間の景気に乗じて、うがうがと志を立てて、駆け出すような者も少なくない。これでは到底、最後までやり遂げられるものではないと思う
”まず体験してから”、”まず行動してから”、と体力任せに奔走する前に、じっくりと自分を知りそれに見合う志を本気で見定めろ、と言うんですね。
最後は論語で有名なこの言葉を紹介しています。
「吾、十有五にして学に志す(私は十五歳で学問に志した)
三十にして立つ(三十歳で自立した)
四十にして惑わず(四十歳で迷わなくなった)
五十にして天命を知る(五十歳で天命を知った)」
渋沢は「孔子はおそらく十五歳から三十歳までで志を立てている」と読み解いています。
そう、賢人でもこれほど綿密に時間をかけて、立てていくのが志であるのです。
もちろん、人生に回り道は避けられませんし、天命と感じられるほどの志を見つけれる人はごく僅かでしょう。
つまり、賢人でも十五年かけて志を本気で探求して行くのですから、もし、凡人である我々もそうあろうと考えるなら、三十年、四十年という期間を積み上げていくことを念頭に置くのです。
そして、その期間はずっと己を知り、身の程を考え、それに応じてふさわしい方針を決定する必要があるのです。
その前には、考えることを放棄してその場任せに繕うことも、不満を言っている暇も、他者の志に惑わされる暇のないのです。
P.S..
ここでの解釈は私なりの解釈である、ということにご注意ください。
昨今よくある一つのテーマに沿って書かれた自己啓発本と違い、読む人の考え方や背景、はては時代によって理解にも広がりができる本であります。
「その解釈は間違っている!」、「私はこのように解釈したよ」ということあれば、どしどしコメントいただければと思います。